私の青春時代を共にしたトヨタのノア
誰にとっても、初めて手に入れた車には特別な思い出があるものです。
私にとってそれは、20歳の時に両親から譲り受けたトヨタのノアでした。
購入時の苦労や維持の喜び、そして15年間の長い付き合いを通じて、この車は私の青春の象徴となりました。
今回は、そんな特別な車との思い出をお話しします。
自動車雑誌を買って熱心に読んでいたあの頃
私が初めて運転免許を取得したのは18歳の時でした。
高校を卒業して大学に進学する前の春休み、「大学生になったら車の免許は持っていた方がいい」という両親のアドバイスもあり、自動車学校に通うことにしました。
毎日の教習は時に退屈で、時に緊張の連続でしたが、無事に免許証を手にした時の喜びは今でも覚えています。
しかし、免許を取得したものの、すぐに車を買うことはできませんでした。
経済的な理由はもちろん、当時住んでいた地域は公共交通機関が充実していたため、通学には電車を利用していました。
朝の混雑した電車の中で教科書を読みながら、「いつか自分の車で通学できたらいいな」と漠然と思っていた日々が懐かしく思い出されます。
大学に入学して半年から1年ほど経った頃、周りの友人や知人がチラホラと車を買い始めました。
親から譲り受けた古い軽自動車で通学する友人、アルバイトで貯めたお金でコンパクトカーを購入した先輩など、キャンパスの駐車場には様々な車が並ぶようになりました。
彼らが休日にドライブに出かける話を聞くたびに、私も「いつかは車がほしいな」という思いが強くなっていきました。
そんな憧れを胸に、大学入学後すぐにアルバイトを始めました。
最初は週に2、3回程度の勤務でしたが、車を買うという目標ができてからは、授業の合間を縫って積極的にシフトに入るようになりました。
コンビニでのレジ打ちや品出し、休日には家庭教師など、いくつかのアルバイトを掛け持ちする日々が始まりました。
アルバイトで得た収入は、交際費や趣味にも使いましたが、「車を買う」という目標があったので、毎月必ず一定額を貯金するように心がけていました。
給料日に銀行口座に振り込まれるお金を見ながら、「あと何ヶ月働けば中古車が買えるだろう」と計算するのが楽しみでした。
当時はまだスマートフォンもなく、インターネットで簡単に車の情報を調べられる時代ではありませんでした。
そのため、本屋で自動車雑誌を買い、通学の電車の中で熱心に読んでいました。
どのメーカーのどの車種がいいのか、中古車の相場はどれくらいなのか、維持費はいくらかかるのかなど、車に関する知識を少しずつ蓄えていきました。
親から譲り受けたトヨタのノア
そんな日々が過ぎ、私が20歳になった頃のことです。
ある休日の家族の団らんの中で、両親が乗っていた車を買い替えようという話が出ました。
当時、両親が乗っていたのはトヨタのノアで、購入してからまだ3年しか経っていない比較的新しい車でした。
7人乗りのミニバンで、家族旅行や買い物など、様々な場面で活躍していた思い出深い一台です。
両親は新しく車を買うために、今乗っているノアをトヨタディーラーで下取りしてもらい、新車を購入する計画を立てていました。
私はその会話を聞きながら、「これはチャンスかもしれない」と思いつきました。
これまで貯めてきた貯金を活用して、両親からノアを譲ってもらえないだろうか。
そんな考えが頭をよぎったのです。
勇気を出して、「今乗っているノアをトヨタの下取り値で自分に売ってほしい」と両親に提案しました。
最初は驚いた表情を見せた両親でしたが、私の真剣な様子を見て、「それもいいかもしれないね」と前向きに検討してくれました。
交渉の結果、両親は快諾してくれることになりました。
ディーラーの下取り価格は180万円。
これは新車価格からするとかなり安い金額でしたが、大学生の私にとっては決して安い買い物ではありませんでした。
アルバイトを一生懸命して貯めた100万円を頭金として両親に渡し、残りの80万円は月々の分割払いにしてもらうことになりました。
車の名義も私に変更され、晴れて「マイカー」のオーナーになったのです。
しかし、大変だったのはここからでした。
両親から建て替えてもらったとはいえ、80万円という当時の私にとって途方もない額の借金を抱えることになったのです。
大学の授業や課題をこなしながら、アルバイトのシフトを増やし、少しでも早く返済するために努力する日々が始まりました。
時には友人との遊びを断ったり、欲しいものを我慢したりすることもありました。
それでも、駐車場に停まっている自分の車を見るたびに「頑張ろう」という気持ちが湧いてきました。
そして数年かけて、全額を両親に返済することができたのです。
この経験を通じて、「ローン」というものがどれほど辛いものかを身をもって体験しました。
毎月の返済日が近づくと胃が痛くなるような不安、そして返済ができた時の安堵感。
社会に出る前に、お金の重みと責任について大きな勉強になりました。
青春時代を15年間も共にした大切な車
苦労して手に入れたノアは、私にとって本当に特別な存在でした。
毎週欠かさず洗車をし、それほど汚れていないと思える車内でも念入りに掃除機をかけました。
シートの隙間に落ちた小さなゴミまで取り除き、ダッシュボードは専用のクリーナーで丁寧に拭き上げる。
そんな日課が自然と身についていました。
当時はまだカーナビが一般的ではなく、紙の地図を広げながらの運転が普通でした。
知らない道を走る時の不安と発見、目的地に着いた時の達成感。
今では当たり前にカーナビに案内してもらえますが、あの時代ならではの思い出です。
ノアの広い車内は、大学の友人たちとのドライブに大活躍しました。
5人以上乗っても余裕のある空間で、海や山へのレジャー、コンサートへの遠征など、様々な場所へ足を運びました。
ガソリン代や高速道路の料金を割り勘にして、みんなで出かけた思い出は今でも鮮明に覚えています。
また、大学のサークル活動での機材運搬にも重宝しました。
後部座席を倒せば大きな荷物も簡単に積めるノアは、イベントの準備や片付けの際に頼りになる相棒でした。
「ノアくん、頼むよ」と車に話しかけながら運転していたことを思い出します。
卒業後も、就職や転勤、引っ越しなど、人生の節目節目でノアは私を支えてくれました。
初めての出勤日に乗った時の緊張感、仕事で疲れた日に帰宅する際の安らぎ。
日常の小さな喜びや悲しみを共有してきた特別な存在でした。
もちろん、トラブルもありました。
長年乗っていると、タイヤの交換や各種部品の劣化など、メンテナンスの機会は増えていきます。
特に年数が経ってからは、修理費用が嵩むこともありましたが、「大切な車だから」と惜しまず整備に出していました。
そして、購入から15年が経過したある日、エンジンが大きなトラブルを起こしました。
修理工場での診断結果は厳しいもので、「修理は可能ですが、費用を考えると…」という言葉に、ついに別れの時が来たことを悟りました。
新しい車に乗り換える決断をした日、最後にノアのハンドルを握りながら、これまでの思い出が走馬灯のように駆け巡りました。
大学生活、初めての長距離ドライブ、友人との旅行、就職、そして恋愛まで。
私の青春時代を共にした大切な車でした。
今では別の車に乗り換えていますが、時々街中で同型のノアを見かけると、つい見入ってしまいます。
あの頃の私と車の関係は、単なる「乗り物」以上のものでした。
厳しいローン返済を乗り越え、大切に維持してきた15年間は、私の人生の中でも特別な時間だったと思います。
初めての車との思い出は、いつまでも色あせることなく、私の心に残り続けることでしょう。