初めて買った車はダイハツのオプティビークス
人生で初めて自分で購入した車には、特別な思い出が詰まっています。
私にとってそれは、今ではすっかり街中から姿を消したダイハツのオプティビークスでした。
20年以上前、20代の私が大切に乗り続けた愛車との出会いから別れまでを振り返ります。
小さな車体に秘められた走行性能、共に過ごした青春の日々、そして忘れられない思い出の数々。
懐かしさと共に蘇るマイカーとの物語をお届けします。
青春時代に憧れていたオプティビークス
私が初めて車を買ったのは、もう20年以上前になります。
当時はまだ20代、社会人になって数年が経ち、ようやく自分の車を持ちたいという夢を実現できるタイミングでした。
アルバイトをしながら学生時代を過ごしていた私は、卒業後も無駄遣いをせず、コツコツとお金を貯めていました。
車を買うという目標があったので、友人たちが洋服やゲームに使うお金も極力抑えて貯金に回していました。
そして、ついに貯金が80万円に達した時、「これで車が買える!」と心躍らせたのを今でも鮮明に覚えています。
当時は様々なメーカーから個性的な車が販売されていて、カタログを集めては眺める日々が続きました。
その中で私の目に留まったのが、今ではあまり見かけなくなったダイハツの「オプティビークス」でした。
四角いフォルムに大きなヘッドライト、コンパクトながらも存在感のあるデザインは、若かった私の心を一瞬で掴みました。
ネットでの情報収集はまだ今ほど一般的ではなかった時代、地元のトヨタ系列の中古車販売店に足を運び、実物のオプティビークスを見せてもらいました。
初めての車購入ということもあり、新車ではなく程度の良い中古車を選ぶことにしたのです。
何しろ初めての車なので、ぶつけたり傷つけたりする心配もあったため、新車を買うには少し勇気が足りませんでした。
中古車販売店の駐車場には様々な車種が並んでいましたが、私の目はすぐにオプティビークスに釘付けになりました。
白いボディカラーが太陽の光を受けて眩しく輝いていて、まるで「私を選んで」と語りかけてくるようでした。
「試乗してみますか?」と営業マンに勧められ、初めて運転席に座った時の感覚は今でも忘れられません。
コンパクトなボディながら視界が広く、運転しやすそうな印象でした。
エンジンをかけると、小気味よいエンジン音が響き、ハンドルを握る手に少し汗をかいたことを覚えています。
試乗は地元の国道246号線で行いました。
慣れない試乗に緊張しながらも、車の操作性の良さと軽快な走りに、すぐに「この車にしよう!」という気持ちが芽生えました。
今でもその道を走ると、試乗した時の高揚感がよみがえり、懐かしい気持ちになります。
一度の試乗だけで即決し、購入手続きを済ませました。
走行距離は2万キロとまずまずの状態でした。
当時は80万円という金額が大きく感じられましたが、自分で貯めたお金で初めて買う車ということで、何とも言えない達成感がありました。
初めて自分の車で遠出をした記念すべき日
納車されるまでの二週間は、本当に長く感じられました。
毎日カレンダーに印をつけて数えるほど、待ち遠しくてたまらなかったのです。
夜寝る前には、車で行きたい場所をリストアップしたり、必要な車内グッズを検討したりと、楽しみな気持ちでいっぱいでした。
そして、いよいよ車が到着する日。
あまりのウキウキ気分に職場に午前休の申請をし、自宅で待機していました。
玄関先で何度も時計を確認し、窓から外を眺めては「まだかな」と心の中でつぶやいていたことを思い出します。
正午過ぎ、中古車販売店の男性が私の車を運転して到着しました。
白いオプティビークスが自宅前に停まった瞬間、子供のように飛び出していったのを覚えています。
男性から鍵を受け取り、車検証などの書類を確認した後、いよいよ私のオプティビークスとの生活が始まりました。
その日は仕事も忘れるほど運転したくて、神奈川県の真鶴半島まで車を走らせました。
海岸線を走る道は景色も良く、窓を開けて潮風を感じながらのドライブは最高の気分でした。
初めて自分の車で遠出をした記念すべき日となりました。
それからというもの、私とオプティビークスは切っても切れない関係になりました。
軽自動車とは思えないほど頼りになる相棒でした。
週末になると必ずどこかにドライブに出かけ、時には友人を誘って音楽フェスティバルに行ったり、キャンプに出かけたりしました。
荷物が多いキャンプでも、シートアレンジで驚くほどの荷物を積むことができたのです。
友人宅へ遊びに行くために100キロ近く運転したこともありました。
当時はまだカーナビが一般的ではなく、紙の地図を広げて道を確認しながらの冒険的なドライブでした。
目的地に到着した時の達成感といったら、何とも言えないものがありました。
オプティビークスは私の日常生活にもしっかりと溶け込んでいました。
通勤や買い物はもちろん、デートにも活躍し、当時付き合っていた彼女も「可愛い車だね」と気に入ってくれました。
まさに「相棒」と呼ぶにふさわしいほど、たくさんの時間を共に過ごしました。
突然のエンジン停止とオプティビークスとの別れ
しかし、どんな関係にも試練が訪れるものです。
ある夏の日、友人との約束で出かけようとした時のことでした。
いつものようにエンジンをかけて発進しようとしたところ、突然エンジンが止まってしまったのです。
何度キーを回しても反応がなく、パニックになった私は慌てて中古車販売店に電話をかけました。
あいにく担当者が不在で電話に出てもらえず、途方に暮れていると、通りすがりの男性が声をかけてくれました。
事情を説明すると、「押してあげますよ」と申し出てくれたのです。
見知らぬ方の親切に、本当に救われた気持ちでした。
その男性の力を借りて、なんとか自宅まで車を戻すことができました。
今でもその男性には感謝の気持ちでいっぱいです。
翌日、車を修理に出しましたが、修理代は予想以上にかかりました。
それでも大切な相棒なので、迷わず修理を依頼しました。
しかし、修理から戻ってきてからも、中古で購入したことが原因なのか、時々調子が悪くなることがありました。
そして、ある日また道中でエンジンが止まってしまい、修理工場での診断結果は厳しいものでした。
「修理はできますが、費用がかなりかかります。車の価値を考えると厳しいかもしれませんね」と言われてしまったのです。
長い間、悩みました。
もっと一緒にいたかった。
でも、これ以上お金をかけても同じことが繰り返されるかもしれない。
様々な思いが交錯した末、泣く泣く別れを決意しました。
さよならするときには、購入時2万キロだった走行距離が5万キロを超えていました。
3万キロ以上を共に走り、たくさんの思い出を作ってくれたオプティビークス。
最後にハンドルを握った日は、まるで大切な友人と別れるような寂しさがありました。
あれから何年も経ちましたが、今でも街中で稀に同じオプティビークスを見かけることがあります。
その時はつい足を止めて見てしまいます。
懐かしくてたまらない気持ちになり、共に過ごした日々が走馬灯のように思い出されるのです。
初めての車との別れは辛いものでしたが、その後も車好きは続き、今では別の車に乗っています。
しかし、初めての車であるオプティビークスは私の中で特別な存在です。
20年以上経った今でも、あの白いオプティビークスとの思い出は、私の青春の一ページとして鮮やかに残っています。