毎週のように洗車をして10年乗り続けた憧れのトヨタ・スープラ

人生で最初に購入する車には特別な思い入れが生まれるものです。

 

私にとってそれは、高校生の頃から夢見ていたトヨタのスープラでした。

 

30年経った今でも鮮明に思い出せる、情熱と青春の日々をお話しします。

 

 

 

スープラを買うためにバイトに熱中した高校時代

今から30年程前、私が高校生だった1990年代初頭は、今のような時代とは全く違う車社会でした。

 

環境に優しいエコカーなど影も形もなく、ガソリンも今よりもずっと安い時代。

 

スポーツカーが街中を颯爽と駆け抜け、若者の憧れの的となっていました。

 

 

 

私はもともと車好きな少年で、小学生のころからミニカーを集め、中学生になるとモータースポーツの雑誌を読むようになりました。

 

高校生になると、毎月欠かさず自動車雑誌を買い、新車情報や改造車の特集に夢中になっていました。

 

 

 

そんな中、とある雑誌の特集で出会ったのがトヨタのスープラでした。

 

特にMA70型の流麗なデザインに一目惚れしたのを今でも鮮明に覚えています。

 

ツインターボエンジンの力強さ、低く構えたスタイリッシュなフォルム、そして当時最先端だった装備の数々。

 

雑誌のページをめくるたびに「いつか必ず手に入れたい」という思いが強くなっていきました。

 

 

 

友人たちとの会話も、いつしかスープラの話題が中心になっていました。

 

「免許を取ったらこれに乗る!」と宣言すると、「高いだろ」「無理だよ」と半ば呆れられながらも、私の中では揺るぎない目標となっていました。

 

 

 

その目標に向かって、高校生活の大半をアルバイトに費やしました。

 

放課後は近所のガソリンスタンドで働き、週末は朝から夕方まで配達のバイト。

 

夏休みや冬休みも返上して働き続けました。

 

友人たちが遊びに誘ってくれても「バイトがある」と断ることも多く、デートの誘いさえも「スープラのため」と断っていたことを思い出します。

 

 

 

毎月のバイト代は、ほんの少しの小遣いを除いて全て貯金箱に入れていました。

 

その貯金箱が満杯になると、銀行口座に入金し、通帳に記帳される金額が増えていく様子を見るのが何よりの楽しみでした。

 

 

 

夢見ていたスープラの中古車価格を調べては「あと何ヶ月働けば手が届くか」と計算する日々。

 

高校3年生になる頃には、ある程度の目途が立ち始めていました。

 

 

 

中古で手に入れた憧れのスープラ

18歳の誕生日を迎え、待ちに待った運転免許を取得しました。

 

教習所での日々も「スープラに乗るため」と思えば苦にならず、むしろ楽しい時間でした。

 

免許取得の当日、真っ先に考えたのは「いよいよスープラが買える」ということでした。

 

 

 

しかし、現実はそう甘くはありませんでした。

 

3年間のバイトで貯めたお金は確かに立派な額でしたが、憧れのスープラを買うには、まだまだ足りなかったのです。

 

特に、維持費や保険料、税金など、購入後にかかる費用を考えると、手持ちの資金だけでは厳しい状況でした。

 

 

 

悩んだ末、意を決して父親に相談しました。

 

普段はあまり感情を表に出さない父でしたが、私の熱意に心を動かされたのか、足りない分を貸してくれることになりました。

 

「返せよ」とだけ言われましたが、その言葉の裏にある応援の気持ちが伝わってきました。

 

 

 

いよいよ車探しが始まりました。

 

当時欲しかったモデルの生産は既に終了していたため、中古車市場から探すことになります。

 

何軒もの中古車店を回り、様々なスープラを見て回りました。

 

状態の良し悪し、走行距離、価格など、比較検討を重ねた末、ついに運命の一台と出会いました。

 

 

 

真珠のような光沢を放つホワイトパールのボディ、走行距離は多めでしたが、前オーナーが大切に乗っていたことが伝わる美しい内装。

 

試乗させてもらうと、想像以上の加速感とハンドリングの良さに心を奪われました。

 

「この車しかない」という確信が湧き、その日のうちに契約を済ませました。

 

 

 

納車の日、父親を助手席に乗せて初めてのドライブに出かけました。

 

特に会話はなかったものの、時々見せる父の微笑みに「認めてくれたんだな」と感じた瞬間でした。

 

今思えば、父は何を思っていたのでしょうか。

 

若かった自分の姿を重ねていたのか、それとも単純に息子の成長を喜んでいたのか。

 

いつか聞いてみたいと思います。

 

 

 

それからは、スープラ中心の生活が始まりました。

 

毎週のように洗車をし、ワックスがけにも拘りました。

 

雨が降った翌日には必ず水滴の跡を拭き取り、内装も隅々まで丁寧に掃除する日々。

 

友人たちからは「車より恋人を大事にしろ」と冗談を言われるほどでした。

 

 

 

専門学校に通いながら、ガソリン代と車の維持費のためにアルバイトを続けました。

 

授業、バイト、車の手入れの繰り返しで毎日クタクタでしたが、夢にまで見たスープラに乗れている幸せを考えると、そんな疲れも苦痛には感じませんでした。

 

 

 

今でも忘れられないスープラとの10年間

スープラとの10年間は、私の人生で最も輝いていた時期かもしれません。

 

思い出せば、様々なエピソードが浮かび上がってきます。

 

 

 

友人たちとのドライブ旅行は特に楽しい思い出です。

 

海へ山へ、時には深夜に高速道路を走り続けて朝日を見に行ったこともありました。

 

エンジン音と共に流れる音楽、窓から入る風、そして若さゆえの自由な会話。

 

今では再現できない青春のひとときでした。

 

 

 

もちろん、トラブルもありました。

 

遠出した先でエンジンに不調が出て、修理工場を探し回ったこともあります。

 

部品交換で予定外の出費があり、その月は食費を切り詰めて過ごした苦い思い出も。

 

でも、そんな経験も含めて、スープラとの日々は全てが宝物です。

 

 

 

10年の間には様々な変化がありました。

 

就職して社会人になり、恋人ができて結婚を考えるようになる。

 

人生の節目節目で、スープラは常に私の傍らにありました。

 

 

 

結婚を機に、より実用的な車に乗り換えることになりましたが、その決断は本当に難しいものでした。

 

妻となる人は「好きなら乗り続ければいい」と言ってくれましたが、二人の新生活を考えると、維持費の高いスポーツカーよりも経済的な選択をすべき時だと感じました。

 

 

 

別れの日、最後のドライブに出かけました。

 

思い出の場所を巡り、夕暮れの海岸に車を停めて沈む夕日を眺めた時、涙が止まりませんでした。

 

10年間の様々な思い出が走馬灯のように思い浮かび、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

 

 

スープラとの10年間は、写真をいっぱい撮り、アルバム3冊分の思い出として残っています。

 

雨の日も晴れの日も、いつも変わらぬ姿で私を迎えてくれた愛車の姿が、一枚一枚の写真に収められています。

 

時々そのアルバムを開くと、当時の風景や音、匂いまでもが蘇ってくるようです。

 

 

 

その後、何台も車を乗り換えましたが、最初のスープラのように思い入れのある車には出会えていません。

 

それは初めての車だからという理由だけではなく、青春時代の情熱や憧れ、苦労して手に入れた達成感も含めた、かけがえのない経験だったからでしょう。

 

 

 

今の若い世代にとって、車は単なる移動手段かもしれません。

 

でも、私にとってスープラは、夢を追いかける情熱、手に入れた喜び、そして大切に維持する責任を教えてくれた、人生の大切な師でもありました。

 

 

 

30年の時を経た今でも、街中でたまに見かける同型のスープラに胸が高鳴ります。

 

あの青春時代の情熱は、いつまでも私の中に生き続けているのです。

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